日本は仏教国である。
多くの人が仏教を信仰しているが、修行をしている人は少ない。
お寺にお布施をすることで、その修行をお寺に任せているのが現状である。
いわゆる、大乗仏教である。
ラオスは自ら修行する上座仏教の国である。
男子は年が来ると出家をし、修行の身となる。
女性はその僧侶に寄進することで修行となる。
修行する目的は、自分の力だけで三途の川を渡ることである。
日本の場合は、葬式でお坊さんが引導を渡してくれて、川を渡る。
未練があるとあの世に行けない。
今年になって、喀血で二回死にかけている。
その時はもう終わったなと、意識が薄れていく中で感じるのだが、私の場合、未練が多いようで、二回生き返っている。
物とか、愛とかに固執しているとこの世に未練が残る。
家族とも別れ、物からも離れて生活することで、あの世に行く準備をする。
これがラオスの出家という形となる。
ラオスの托鉢は朝が早い。
まだ暗い、五時ころから始まる。
四時半ころには起床の合図か、鐘が鳴る。
街の至る所にあるお寺からたくさんの僧侶が出てきて、門前に並ぶ。
そして、一斉に街を歩き始める。
至る所に、托鉢にお供えするために人々が待っている。
遠くから、車でやってくる人も多い。
近くによって撮影ははばかられる。
暗い中、遠くから写真を撮ったので、結果は期待していなかったが
いいのが数枚撮れていた。
この写真のカラー版は写真コンテストで賞をもらっている。
副賞として、ラオス往復の航空券が送られてきた。
残念ながら、仕事が忙しく、使用期限まで旅行に行けず無駄になってしまった。
しかし、ベトナム航空のカレンダーに使ってもらえ、いい思い出として残っている。
人より早く、死を迎える者にとって何が一番未練を残すか。
多くの人は残された者の将来への心配である。
自分がいなくなってから、みんな大丈夫なのだろうか。
親はどうだろう。子供達は大丈夫か。
困ったことがあったら、乗り越えていけるのであろうか。
考えるといろいろな心配事が沸き起こってくる。
死と向き合って半年、私もいろいろ考えた。
もう危ないと思った時は、カミさんには子供達のことを、子供達にはカミさんのことを頼んだ。弟にも我が家族のことを頼んだ。
そして、今まで話してなかった昔の話を一気に話した。
死んだ者にとって残された者の生活は心配であろう。
お盆に帰ってきたら、みんな暗い顔をしているようではせっかくのお盆、供養にならない。
昨日はは弟家族を呼んで食事をした。
お盆に帰ってきている甥にいいもの食べさせてあげようと焼肉にした。
男一人の生活をしているとなかなか焼肉パーティーとはいかないと思ったからだ。
我が家の子供達と一緒に賑やかなお盆が迎えられた。
病院に帰らないといけないので、長くは一緒にいれなかったが、楽しい夜であった。
カミさんのメールでは、私が帰った後もみんな酒を飲んで盛り上がったという。
病室に戻り、パジャマに着替える時、まだ私の服に焼肉の匂いが染み付いていた。
私も栄養が取れて元気になったような気がする。
病室内をいろいろ整理していても体がいつもより軽い。
普段いかに病人になりきっているのかわかった。
昨晩は幸せな姿をお盆に帰ってきた人に見せられたと思う。
話に加わらなかったが、一緒に楽しく過ごしてもらえたと思う。
いいお盆が過ごせた。