私の年上の友人に面白い人間がいます。
家族に中にいたら、大変迷惑な人間ですが、距離を置いて接する間は退屈しない人間です。
彼は退職後、退職金をおくさんに渡さず独り占めして外国に逃亡しました。
まぁ、年金はおくさんに渡すという約束なので、生活には困らなかったようです。
彼は、オーストラリア放浪後、ロサンゼルスに住み着き、その後東南アジアの放浪後、最後はハノイに居場所を見つけました。
時々日本に帰ってきては色々私に頼み事してはまた外国に出かけました。
頼み事の多くはパソコン関係
自分の生活を記録に残したいとホームページ作りなどを依頼されていました。
そんなこともあり彼の写真が若干残ってました。
ハノイの写真です。
先ほど、このことを思い出して検索してみると、彼のカンボジア時代のものがまだネットに残っていました。
という名前のホームページです。
カンボジアに自腹で学校を建てようとした記録です。
今見ても迫力あるページです。
ちなみに私が作りましたが・・・。
ちょっと読み返してみたのですが、改めて色々な意味ですごい人だったんだなと再確認しました。
過去形になっていますが、まだ彼は生きてます(笑)
彼の頼み事でいちばん強烈だったのは、パソコンの調子が悪いのでハノイまで来て直してくれというものでした。
旅費は自腹です。
あまりにもアホらしくて、つい行ってしまいました。
人を呼び出しておいて、空港には迎えに来ず、私の滞在先のホテルのロビーで待っているような人です。
その頃、ビザが要る時代でしたから、来いと言われてすぐ行ける時代ではありませんでした。
日本で取ると時間がかかるので、香港でベトナムビザとって行きました。
あった時の挨拶が、「悪い、悪い、遠いところまで呼び出して」というものでした。
確かに遠かったです。
ハノイにいる間はさすがに色々面倒見てくれましたが、それでも、色々事件を起こしてくれました。
私のいる前でバイクタクシーと50円ぼったからということでケンカの挙句、二人で乗ったのだから、正規の値段だったとか、まあ色々ありました。
私とレストランに行った時、私の方が大事にされ、金払うのは私だと、ぶちぎれた時もあります。
ちなみに、ハノイでの彼の職業は大学で日本語を教えていました。
インターネットの仕方やデジカメの使い方などを教えてほしいというのが、
ハノイに呼び出した理由であるが、実際は、じっくり日本語が使いたくなったのであろう。
その後、彼はハノイで脳溢血を患い帰国した。
帰国後は、奇跡のような回復力で、日常の生活では困らないところまで復活している。
三世代家族の家に建て替え、孫の世話が忙しいという。
私も定年退職して何をしようかと考えますが、さすがに彼のような生活はできません。
彼ほどはわがままではありませんので・・・
元気になったら、また、出かけます。